劇団あかぺら倶楽部
第29回公演



稽古場情報  B面ー2


さてさて、ちょっとマニアックに物事を紹介する、
B面ー2!
今回のテーマは、昭和52年の歌謡事情。
『夫婦レコード』」では、吉田拓郎がでていますが、
今回は、それ以外の歌手もご紹介しましょう。
この時代に青春を過ごしたかたも、
まだ生まれていない方も、気軽にご覧下さいね。



まずは、昭和52年の人気歌手、男女ベスト10です。
結構意外な人物が、入ってます。

男性歌手 女性歌手
  郷 ひろみ   ピンク・レディー
  西城 秀樹   山口 百恵
  新沼 謙治   桜田 淳子
  豊川  誕   岡田 奈々
  ずうとるび   キャンディーズ
  草川 祐馬   ビューティ・ペア
  太川 陽介   岩崎 宏美
  加納 竜   太田 裕美
  あいざき 進也   榊原 郁恵
10 清水 健太郎 10 浅野ゆう子


続いて昭和52年の紅白メンバーです
懐かしい人、こんな人が出てたのか的人、
または知らない人と、さまざまです。
ボクの私的なコメントと共に、ご覧下さい。



第28回
紅
 白
歌合戦


赤組
桜田
  淳子
気まぐれビーナス スター誕生で優勝して、人気に。
山口百恵、森昌子との花の中三トリオは、有名。
当時ボクは、ビジュアル的にも、一番好きでした。
山口
  百恵
イミテーション・ゴールド 三人娘の中では、伝説になっちゃいました。
歌はどれも最高!
三浦友和と結婚して、芸能界に一切戻てこないの
が、伝説の一つの要因か?
ピンク・
 レディー
ウォンテッド 言わず知れた国民的アイドル。
35才以上の女の子は皆、踊りを踊れるらしい。
因みに、ボクも踊れます・・・。
水前寺
   清子
虚空太鼓 「チーター」の愛称で人気を得ている。
当時はホーム・ドラマでの演技が好評。
ボクも、お婆ちゃんと見てました。
代表曲は、『三百六十五歩のマーチ』
太田
  裕美
九月の雨 代表曲『木綿のハンカチーフ』大ヒット!
一躍トップアイドルへ。
清楚な雰囲気が当時の男たちを虜にした。
小学生のボクも虜になりました。
由紀
  さおり
う・ふ・ふ 最近は童謡歌手としての活動が多いが、
当時は歌手・女優・タレントと、幅広く活動し、
人気を得ていた。可愛くて綺麗な方でした。
西川
  峰子
ギター流して今晩は 抜群の歌唱力を持った人。
明るくて、CMにもよくでていました。
さとうの切り餅のCMは、有名。
いしだ
  あゆみ
港・坂道・異人館 萩原健一の元奥様。
今は、歌手と言うよりも女優として、活躍されて
いますね
高田
  みづえ
硝子坂 この年のデビュー曲『硝子坂』が大ヒット!紅白の
出場も果たした。
‘85に大関・若嶋津と結婚。当時ボクはショック
でした。可愛かったんですから、ホント。
青江
  三奈
みなとブルース 昭和ブルースの女王の一人と言われた人。
‘00年にすい臓癌で亡くなる。
ハスキーボイスが魅力的でした。
岩崎
  宏美
悲恋白書 とても張のある声で、当時から実力派のアイドル
歌手と言われていた。ボク、ファンでした。
妹に岩崎良美がいる。
小柳
  ルミ子
星の砂 当時はトップアイドルとして人気を博した。
現在は・・・人は、たくましくなるものですね。
キャン
 ディーズ
やさしい悪魔 『年下の女の子』のヒットで、トップアイドルへ。
詳しくは、この後紹介してますので、そちらをどう
ぞ。
石川
  さゆり
津軽海峡・冬景色 ‘73年にデビューしたが、いまいち売れず。
この年、『津軽海峡・冬景色』で一躍スターダム
へ。とても、美人で可愛いかたでした。
ハイ・ファィ
・セット
フィーリング コーラスグループ。
ただ『フィーリング』以外は、あまりヒット曲はなか
った。
島倉
  千代子
京都北嵯峨別れ寺 このころ、莫大な借金を背負うことになったらし
い。その後見人が、あの細木数子だったそうで
す。
佐良
  直美
ラブ・ミー・テンダー
〜ハウンド・ドッグ
‘67年『世界は二人のために』がミリオン。
レコード大賞の受賞や、紅白の司会も務めた
事がある、国民的タレント。
ちあき
  なおみ
夜へ急ぐ人 タレントのコロッケがよくものまねを、していた。
‘90年に美川さんと「タンスにゴン」で」共演して
いた。そう言えば、この年美川さん出てないです
ね〜。

 沙織
街角のラブソング 篠山紀信の奥さん。
当時は、天地真理・小柳ルミ子と共に、「新三人
娘」として知られ、デビュー曲の『17歳』は、今も
よくカバーされている。

 昌子
なみだの桟橋 花の中三トリオとして、人気を博したアイドル。
ただ、三人の中ではチョット地味めでしたが・・・。
しばた
  はつみ
マイ・ラグジュアリー・ナイト すいません、ボクは記憶にないんです・・・。
ただこの曲は、CMで有名になったそうです。
現在も海外などで活躍している、ワールドワイド
な方みたいです。

 はるみ
しあわせ岬 実力派、演歌歌手。
『北の宿』が代表曲。一時期、普通のおばさんに
戻りますと、辞めていた。
いまはまた、歌っています。
八代
  亜紀
おんな港町 バスガイドから演歌歌手になったひと。
なんと、王さんから、846号を打ったホームラン
バットをプレゼントされる。
和田
  アキ子
夜更けのレストラン いわずと知れた、芸能界の「ゴッド姉ちゃん」。
紅白でも数々の逸話もった、伝説的?な人。


白組

 ひろみ
悲しきメモリー 西城秀樹・野口五郎とともに、新御三家と呼ばれ
歌手だけでなく、バラエティーなどにも活躍した。
詳しくは、この後紹介します。
加山
  雄三
もえる草原 いわずと知れた若大将!
万年青年と呼ばれている。
多趣味の持ち主でもあるらしい。
狩人 あずさ2号 『あずさ2号』が大ヒットしたが、その後低迷。
あるバラエティーで復活したが、最近解散してし
まった。
北島
  三郎
終着駅は始発駅 紅白史上最多43回の出場をほこる、演歌の
大御所。愛称「オヤジ」
このころは、パンチパーマも若々しいお兄ちゃん
てきな、方でした。
新沼
  謙治
ヘッド・ライト 東京へ出てきてからも、なまりがとれない愛すべ
きキャラクター。
この頃は、今で言う演歌界のプリンス・・・?
村田
  英雄
男だけの唄 生涯現役を貫き、生涯にわたり「男」を歌いつづけ
てきた。
細川
  たかし
ひとり旅 「欽どこ」で一躍人気者になった。
『北酒場』『浪花節だよ人生は』などが、
代表曲。結構ひょうきんらしい。
フランク
   永井
おまえに 『東京ナイトクラブ』や『おまえに』などヒット曲を
生み、渋い歌声が特徴的。
清水
  健太郎
失恋レストラン この頃は、爽やかな好青年。
その後、シネマキング的存在として、君臨。
その後は麻薬で逮捕されたり・・・残念です。
内山田と
クールファイブ
思い切り橋 前川きよしがメインボーカル。
その後は、‘87年に脱退する。
ドリフでコントなども、でてました。
野口
  五郎
風の駅 新御三家の中で地味目だが、三人の中で一番
ひょうきん者だそうです。
沢田
  研二
勝手にしやがれ ザ・タイガースから色々と経て、ピンで。
その途端、さらに爆発的に人気がでます。
愛称ジュリー。サザンがデビュー曲の題名に勝手
にしゃがれと、ピンク・レディーの曲をもじって、
作ったのは、有名。
西城
  秀樹
ボタンを外せ 新御三家の一人で、三人の中でボクが一番お
気に入りの人です。
名曲いっぱいですよ。
小林
   旭
昔の名前で出ています ボクの記憶は、赤いトラクターのCM曲です。
その前は、渡り鳥シリーズなどのの二枚目
俳優ですね。
美空ひばりさんの、元旦那さん。
森田公一と
トップギャラン
青春時代 この曲は、今でも青春の曲として語り継がれて
います。でも、ヒットはこれだけだったらしい。
森田さんは、作曲家として活躍。和田さんの、
『あの鐘をならすのはあなた』もそう。
三波
  春夫
三波のハンヤ節
西郷隆盛
万博の曲が有名ですが。
こんにちは〜こんにちは〜世界の国から〜♪
ですね。
「お客様は神様です」は名言。
菅原
  洋一
奥様お手をどうぞ 22年間紅白連続出場の記録をもつ。
結構、モノマネのねたにされることも多い
人だった
布施
   明
旅愁〜斑鳩にて 『シクラメンのかほり』が有名。
ハリウッド女優オリビア・ハッセーと結婚。
当時さわがれました。その後離婚。
三橋
  美智也
風の街 総売上枚数1億枚の記録をもつ、日本歌謡界
の代表的存在だったらし。
春日
  八郎
望郷詩 日本歌謡界を、三橋・村田とともに代表する
歌手。『お富さん』『別れの一本杉』など、多く
のヒット曲をもつ。
松崎
  しげる
愛のメモリー 『愛のメモリー』いまも歌われる、代表曲。
ディナーショーができるのも、この曲のお陰か?
ボク的には、『噂の刑事トミィーとマツ」のマツが
イメージ。

  進一
東京物語 森昌子の元旦那。
ハスキーな歌声が、人気を博していた。
『おふくろさん』が代表曲だが、今は歌わせて
もらえない。

  昌夫
北国の春 『北国の春』が代表曲。
外国人のジョン・シェパードと結婚するが、離婚。
一時は1千億の借金を背負い、「歌う借金王」と
言われていた。
五木
  ひろし
灯りが欲しい 五木ひろしになるまで、かなり名前を変えた。
『よこはま・たそがれ』が大ヒット。
一躍トップスターの仲間入りをはたす。




ここで、二組の伝説的アイドルグループをご紹介しましょう。

日本の芸能史に名を残すこの二組、
実は重なった時代は、以外に少ない。
また、国民的なアイドルであったのに、
グループの活動期間は、二組とも短い。
「夫婦レコード」の時代である‘77年は、
この二組が重なった貴重な時代でもある。

キャンディーズとピンク・レディー
実際の写真が使えないので、
またまたあかぺらメンバーがモデルをしています。
(一人男がいる?・・・女性としてみてくださいませ)

キャンディーズとピンクレディーは、ほぼ2年ほどしか接点がない。
しかし、この昭和50年前後の時代を支えた
伝説的なアイドルであったことには、間違いない。


↓のグループ名にカーソル合わしてみてね
(キャンディーズ)

スー(田中好子)
ラン(伊藤 蘭)
ミキ(藤村美樹)

3人とも東京音楽学院の
スクールメイツ出身。

1973年9月1日歌手デビュー。
しばらくはヒット曲に恵まれなか
ったが、5枚目のシングル
『年下の男の子』(1975年)で、
ランちゃんをセンターで、
メインボーカルに据えてヒットした。

以降、『わな』でミキちゃんが
センターだった以外は、
ランちゃんがセンターを務めた。

遅れてデビューのピンク・レディー
とライバル関係になったが、
社会現象的な人気を獲得した
ピンク・レディーに対し、
レコード売り上げ等は劣勢だった。

人気絶頂1977年に
突如解散を発表!

日比谷野外音楽堂のコンサートで
の「普通の女の子に戻りたい」は、
流行語にもなったほど有名。

皮肉にも、解散発表によってキャン
ディーズの人気は沸騰し、ラストシ
ングル『微笑みがえし』では、初め
てオリコン1位を獲得した。

1978年4月4日、後楽園球場にて
解散コンサートが行われ、
4年半の活動を終えた。

その後は一度も再結成してない。

[シングル ヒストリー]

1973.9.1
『あなたに夢中』
1974.1.21
『そよ風のくちづけ』
1974.4.21
『危い土曜日』
1974.9.21
『なみだの季節』
1975.2.21
『年下の男の子』
1975.6.1
『内気なあいつ』
1975.9.1
『その気にさせないで』
1975.12.5
『ハートのエースが出てこない』
1976.3.1
『春一番』
1976.5.31
『夏が来た!』
1976.9.1
『ハート泥棒』
1976.11.21
『哀愁のシンホニー』
1977.3.1
『やさしい悪魔』
吉田拓郎が作曲してます。)
1977.6.21
『暑中お見舞い申し上げます』
1977.9.21
『アン・ドゥ・トロワ』
(これも拓郎さん作曲です)
1977.12.5
『わな』
1978.2.25
『微笑がえし』
1978.11.21
『つばさ』
(キャンディーの意向に反して
発売された)


[モデル]

スー 岡田佐知恵

ミキ 北飯  智子

ラン 阪爪  優介

















(ピンク・レディー)

ケイ(増田恵子)
ミィー(根本美鶴代)

常葉高校(現・常葉学園高校)卒業
後の1976年8月26日に
『ペッパー警部』で歌手デビュー。

デビューのきっかけとなったのは、
オーディション番組「スター誕生」

ちなみにピンク・レディーの由来は
作曲家、都倉俊一の命名であり、
有名なカクテルの名前に由来。

イメージが、夏の浜辺の様な明るく
健康的な女の子。
そのため、老若男女に幅広く
支持されていく。
キャンディーズが同世代の青
年男性に支持された、古典的な
アイドルだったのとは対照的で、
そのためレコード売り上げ枚数
などは、ピンク・レディーが
圧勝していった。

様々なキャラクター商品が発売
されていき、ピンク・レディーという
存在は、想像を絶する経済効果を
発生させることになった。

彼女達の人気は、
1977年〜1978年が
絶頂期だといえるだろう。

余談ですがサザンオールスターズ
のデビュー曲『勝手にシンドバット』
は、沢田研二の『勝手にしやがれ』
と、ピンク・レディーの『渚のシンド
バット』の2曲をもじった物。
(2曲とも1977年の大ヒット曲)
この3曲、私はよく歌ってました。

寝る間もないほど仕事をさせられて
いた彼女達。
自分達の意思とは別の次元で、
悲劇的な運命に翻弄されていく。

1979年頃から、人気は急速に陰り
を見せ、1980年頃には人気者
アイドルの扱いではなくなった。

1981年、雨の後楽園球場で、
解散コンサートを開催する。

活動期間は、約4年半。

[シングル ヒストリー]

1976.8.26
『ペッパー警部』
1976.11.25
『S.O.S』
1977.3.10
『カルメン‘77』
1977.6.10
『渚のシンドバッド』
1977.9.5
『ウォンテッド』
1977.12.5
『UFO』
(155万枚のピンク・レディー
最大のヒット曲)
1978.3.26
『サウスポー』
1978.6.25
『モンスター』
1978.9.9
『透明人間』
1978.12.5
『カメレオン・アーミー』
1979.3,9
『ジパング』
1979.5.1
『ピンク・タイフーン』
1979.7.5
『波乗りパイレーツ』
1979.9.5
KISS IN THE DARK
1979.9.9
『マンデー・モナリザ・クラブ』
1979・12.5
『DU YOUR BEST』
1980.3.5
『愛・GIRI GIRI』
1980.5.21
『世界英雄史』
1980.9.21
『うたかた』
1980.12.5
『リメンバー』
1981.1.21
『ラスト・プリテンダー』
1981.3.5
『OH!』

[モデル]

ミィー 菅原 祥子

ケ イ 蓑田まゆみ





続いてこの時代に隆盛を極めた、男性ボーカリストを
紹介したいと思います。

郷ひろみ&西城秀樹そして野口五郎
またまたまた、モデルはあかぺら男性人です。
イメージ壊れたりしたら御免なさい。

いわゆる新御三家と呼ばれていた3人です。
↓の三つの枠内にカーソルを合わしてみてね。
(郷ひろみ) (西城秀樹) 野口五郎
郷ひろみは、1972年にNHKの大河ドラマで俳優としてデビュー、同年8月1日に『男の子女の子』でデビュー。
芸名の「郷は」、当時人気だったフォーリーブスの後継者として、「5番目のフォーリーブス」の意味もあるらしい。

西城秀樹は、1972年3月25日に『恋する季節』でデビュー。
愛称は「ヒデキ」で、1973年に『情熱の嵐』で、客席から歌に併せて‘ヒ・デ・キ!!,とコールされるのが話題を呼び、全国的に名が知れ一躍トップアイドルに。

野口五郎は1971年に『博多みれん』で演歌歌手としてデビュー。
しかし、まったくうれず、次の『青いりんご』からポップス歌手に転向し、人気を得る。
1972年にNHK紅白歌合戦で、当時では異例となる最年少・初出場歌手に抜擢される。

甘美な可愛らしい「ルックスの郷」と真に迫る歌い方していた「絶唱のヒデキ」、地味だが3人のなかで一番歌が上手い、「実力の五郎」と呼ばれていた。

‘70年代に絶大な人気を誇っていた沢田研二に対して、この新御三家の三人は最大のライバルとなっていく。

三人とも今も活躍しているが、この‘70年代は沢田研二と共にこの三人が、男性歌謡界を席巻していたと言っても、過言ではないだろう。

この頃ボクはあこがれていました。
特に、西城秀樹に。ヒ・デ・キか〜んげき〜!にです(汗)

モデル  郷ひろみ/田中 秀一  西城秀樹/増田 淳  野口五郎/東 龍一







Q1 キャンディーズの曲を作った、『夫婦レコード』にも関係のある歌手はだれ?  A1  
Q2 新御三家の中で一番早くNHK紅白歌合戦に出場したのは誰? A2 
Q3 サザンオールスターズのデビュー曲の題名は、沢田研二の『勝手にしやが
れ』と、もう一人誰の何と言う曲をもじったものでしょう?
 A3  
答え(A)は、青字で表記されてます


と言うわけで、B面ー2はここまでです。
『夫婦レコード』の時代の音楽模様をお送りするつもりが
この時代の、歌謡事情の紹介になってしまいました。

実はこの時代、吉田拓郎などのホークソングよりも、
歌謡曲・Jポップ(今で言う言い方で、その走り)
が人気を博していた時代のように、感じます。

ちょっとマニアックに、そしてバカバカしく紹介してきましたが、
『夫婦レコード』の話とは、ちょっと離れてしまったかもしれませんね。

次回A面ー4では、公演前日号として
稽古場情報らしい・・・?情報を掲載しますのでお楽しみに。

そして今週7/5(木)からの『夫婦レコード』
是非お越し下さいませ。
お待ちしていま〜す。