僕が生まれた時、僕の体は金色に輝いていたといいます。
雷鳴轟き、稲光が闇とのコントラストを奏でる中、何かの時代の始まりを告げるかの如く僕は生まれたといいます。
頭脳明晰、0歳にして5ヶ国語をしゃべり、周りからは神童と呼ばれ3歳にしてIQは280。100mを6秒ちょっとで走る能力があったかどうかは分かりません。すみません。ぼくはそんな子供ではありませんでした。というか、無理です。
本当のところはというと、僕は小さい頃から目立ちたがり屋で引っ込み思案だったそうです。よく分かりませんね‥。
それと、よく迷子になってましたね。
家族で旅行などに行くと必ず救護室に保護されていました。知らないおじさんについて行っちゃうこともあったみたいで、うちには知らないおじさんと一緒に手をつないで写っている写真があります。危ないです。
小学生の頃、軽井沢でサイクリングをしていて一人で果てしなく走って家に帰れなくなった時、とっても優しそうな白い長い顎ひげを生やしたおじいさんに保護された事があります。
ところが大きくなって家族でそんな話しをした時、僕の両親はそんな事は無かったと言うのです。でもはっきり覚えているんです。おじいさんはログハウスに住んでいました。両親が迎えに来るまで、そのおじいさんに温かい飲み物をもらって遊んでいたんです。
‥今考えるとあれは、仙人だったのかもしれません‥。
中学生の頃、勝浦で海水浴をしていた時、知らず知らずのうちに足の着かない深いところまで流されてしまい大波にのまれてしまった時にも、近くで漁をしていた海女さんに助けられ保護されたことがあります。ご飯まで食べさせてもらって、それから家に帰った覚えがあります。
‥あれはむかし僕が助けた海ガメだったのかもしれません‥。
さて、この中にひとつだけウソがあります。
どれでしょう? |
今でもそうですが、私は小さい頃から食いしん坊バンザイ!でした。
3歳の頃の写真を見ると私は食べ頃のコブタです。
「たたくとビスケットが増える」という不思議なポケットの歌がありますが、3歳当時の食いしん坊だった私も、幼い浅知恵を振り絞り、どうやったら自分のおやつが増えるのか考えた事がありました。
そしてある日、素晴らしいアイデアが閃いたのです!!
それはコタツに入ってミカンを食べている時の事でした。ミカンの皮をむいて、一粒口に入れようとしたその時!その一粒が他のに比べてまだ半分程しか成長していない事に気付いたのです。
「この子はまだまだ大きくなる!」
そう直感した私は、その日から「見込みあり!」と睨んだ幼いミカン達を秘密の場所に収集し始めたのです。
「ミカンが大きくなるのを待って、食べたい時にたべよう!!」
って何それ?ミカンの養殖?それとも、ミカン牧場??
「育てて食う」という発想は3歳児とは思えない計算高さですが、同時にもの凄い計算間違いです。
無論、木から切り離され、更に皮まで剥かれたミカンが成長するはずがありません。当たり前です。
「ミ〜ワ〜ッ!!」母の怒鳴り声が聞こえたのは何日後の事だったのでしょうか。自分が、ミカンを飼っている事をすっかり忘れた頃、放置されたミカン達は掃除をしていた母により発見されたのでした。
ひからびて、すっかりミイラ化してしまったミカン達…。
私は母に「自分で捨てなさいっ!」と命じられ、ミカンの亡骸を家の前の空き地に埋めました。可哀相な姿にしてしまったミカン達のお墓…ではなく、埋めればミカンがまた生えてくるんじゃないかと思ったんですね。
どんなに待っても種なしミカンから芽はでないよ。ホントに懲りないバカですね〜。
科学より生命の奇跡を信じていた子供の頃の私の話でした! |